北米でマルチリンガルの子育て、仕事、海外生活と日々奮闘中の筆者が感じた日本と海外の違いや気づきを綴るコラム。

第8回目は、「マルチリンガルへの道:3歳編」です。

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以前「マルチリンガルの頭の中」という記事を ブログ で書いた。これは、とてもたくさんの人に読まれ、このテーマに興味を持っている人は多いのだろうなと思った。

 

私も今となっては日・英・仏語と話すので、うっすらマルチリンガルなのだが、生まれながらにその環境に身を置いている我が子の語学吸収速度には、日々驚くばかりである。最近では私の知らない単語を話し、時には私の発音を直してくれる。とほほ。

 

子どもを見ていると自然な語学習得とはこういうものなんだなとしみじみ実感し、子どもの脳はすごいなぁと感嘆する。20代後半から語学勉強を始めた私とは習得のプロセスが全く異なる。

 

現在までの我が子のマルチリンガルへの道はこんな感じだ。

初めて発した言葉は「ママ」。これは日仏共通。そこから、2単語を話すようになったのは通常の子より少しだけ遅かった記憶がある。

 

生後半年?2歳までは、その言語でどれくらいの時間を過ごしたかが顕著に現れた。日本に数ヶ月いればほぼ日本語、カナダにいればほぼフランス語というように。

 

そして2歳半では、ほぼ日仏のバイリンガルになった。でも、誰にどの言語で話すのか区別がついてない様で、日本の祖父母にフランス語、カナダの祖父母に日本語という感じで、話しかけられた方はアワアワしていて面白かった。本人にとってはどちらも一つの「言葉」なのだなと感じた。

 

3歳になると言語の区別がつき、2言語をうまく切り替えて話すようになった。この頃から、英語単語をすこーしずつ話すようになる。英語に触れる機会は、夫婦間と家族間の話しで聞く程度、あとは本かテレビのみで「教える」ということはしていなかった。

 

そして最近は、英語を文で話すようになってきた。驚いたのは、夫婦の英会話にフランス語や日本語で返事をするようになったことだ。例えば「これから雨が降りそうだらもう家に帰ろう」という話をしていたら「雨降らないよ。帰りたくない」と日仏で答えるというように。

 

大人と子どもの言語習得には大きな違いがあって、大人は単語・文法と個々で記憶するが、子どもは文章とシチュエーションで一気に言葉を習得する。

 

日本のグローバル化が進む中、子どもにはバイリンガルになって欲しいと願う親御さんは多いと思う。数年前からは小学校でも英語教育が始まっているし、異言語で他国の人とコミュニケーションが取れるというのは、将来大きな可能性になると思うのだ。

 

ハーフ(海外ではミックスという)で生まれた子はラッキーだと言われるけども、実際にバイリンガルになるかどうかは、環境が大きく左右すると私は思う。

 

完全なる私的な見解だけど、異言語を耳にする環境が継続してあるかどうかが、鍵になるのではないかと思っている。それもできれば幼いうちに。勉強ではなく、触れる機会を継続的に与えるのだ。

 

そうすれば日本在住で両親が日本人であっても、その子どもがちょっとしたバイリンガルになることは可能なんじゃないかと思う。幼いうちは英語のテレビや歌、本の読み聞かせで英語の音を聴かせて耳に慣らす。

 

英語講師をしていた時に勉強したことだが、言語にはそれぞれ音の領域があって、子どもの頃にどれだけ幅広い領域の音を聞いたかで、その後言語を習得する際に、その音が聞き取れるかが決まってくるという。違いがうまく聞き取れないと言語習得で苦労するというのだ。

私の場合は子どもが日本語を習得できるかが、これからの課題だ。

 

いまはフランス語・英語で話しかけられていても返事をしているが、これからどんどんこの2言語が強くなる中、どこかの時点で私は日本語だけを話すという選択をしなければならないかもしれない。

 

今後の語学環境は、幼稚園まではフランス語、小学校から英語メインの学校、毎年帰国して日本の学校の体験入学を考えている。

幼いうちは親次第、でも大きくなれば子次第になってくる。チャンスは与えてもそれを喜んでやるとは限らない。無理やりやらせれば嫌いになってしまう恐れもあるから、どうしたものかと今から少しずつ将来の対策を模索している。

 

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SASAKI

 

海外移住をきっかけに本格的にライター・エディターとなる。英仏話者。人々の生き方や働き方、子育てに興味があり、取材・インタビュー記事が得意。現地では新たな挑戦として、現地企業でマーケティング・カウンセラーも経験し、海外と日本の架け橋となるようなサポートもしてみたいと考えている。