北米でマルチリンガルの子育て、仕事、海外生活と日々奮闘中の筆者が感じた日本と海外の違いや気づきを綴るコラム。

第23回は「アイデンティティー」の話です。

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長い長い冬のちょうど真ん中あたりになる今の季節。子どもは毎日ウキウキしながら園に通って、マイナス7度くらいの寒さであれば、外で元気に遊んでいる。

 

子どもが園に通いだして数年が過ぎた。通いはじめの頃は「うまく園に馴染めるのか」「日本語とフランス語の区別もつかないのに、しっかりと自己主張していけるのか」など色々なことを心配していた。

 

カナダは移民の多い国なので、さまざまな人種と文化背景があり、両親が同じ国同士ではない人がたくさんいる。そのためミックス(*)であることが特別視されることはほとんどない。外で子どもと日本語の歌をうたっていると「その言葉きれいな音だね!」と声をかけられたりもする。

 

子どもが日本語とフランス語や英語の違いをなんとなく意識してきた頃から、「君はカナダ人であり、日本人でもあるんだよ」と伝えてきた。日本とカナダは毎年行き来しているし、話す言葉も全く違うから、子どもなりに自分が2つの国の人であることは、なんとなく理解している様子。日本出発前には地球儀をみせて説明したりもしている。けれど、もう少し大きくなったら「自分ってほんとうは何人なのだろう?」と感じるようになるかもしれない。

 

カナダに住むようになって、個人のアイデンティティーについてよく考えるようになった。私は日本人で、日本で育った。でも海外生活が10年を超えてくると、感覚や価値観が日本の家族や友人とはすこし違うかも…と感じることがでてきた。そして、その逆も然り。カナダにいるときは、日本人である自分の価値観や考えが、とても日本人っぽい、どんなに長く住んでもカナダ人にはなれない、と感じることも多くある。なんともいえない不思議な感覚。

 

今後さらに長くカナダに住むことで、私のアイデンティティーはどうなっていくのだろうか。まったく想像がつかない。今時点でわかっていることは、異なるアイデンティティーを持つ場所や人と時間をともにすることは、歳を重ねれば重ねるほど、面倒でストレスに繋がることがあるのだな、ということ。

 

将来もしかしたら、わが子も私と同じように、生きづらさを感じることがあるのかもしれない…とぼんやり考える。そのときがきたら、子どもが自然と相談ができるような親子関係でありたいと思うし、その気持ちを少しでも軽くできるような「答え」が見つかっていればいいなと思ったりしているのだ。

 

私がいま密かに考えている将来設計に、2拠点生活がある。カナダ半分、日本半分の生活。これなら「異なるアイデンティティーによる生きづらさ」をうまく回避できそうだと期待している。カナダもいいけど…日本や日本の生活が恋しすぎてツライ!となった時に、ウルトラCのような抜け道として、子どもと自分に作ってあげたいと思っているのだ。そんな環境が実現するように、今はさまざまな種を蒔き、耕している。

 

*日本ではハーフがよく使われる言葉なのですが、この言葉はネガティブだと言う見方もあり、海外では「ミックス」と表現します。

 

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SASAKI

 

海外移住をきっかけに本格的にライター・編集者となる。英仏話者。人々の生き方や働き方、子育てや教育に興味があり、取材・インタビュー記事が得意。現地では新たな挑戦として、現地企業でマーケティング・カウンセラーも経験し、いつか海外と日本の架け橋となるようなサポートもしてみたいと考えている。