北米でマルチリンガルの子育て、仕事、海外生活と日々奮闘中の筆者が感じた日本と海外の違いや気づきを綴るコラム。

第17回目は、「親の老いとともに考えること」です。
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カナダにもやっと春がやってきた!とうきうき気分のこの頃。長ーーーい冬もやっと終わったようで、心なしか肩凝りも和らいだ気がする。


前回のコラム( こちら )では、家族への想いや飛行機での子連れ移動、日本語強化のため毎年日本に帰国していることを綴ったが、そうすることで否応なしに感じ、少しだけ感傷的になるものがある。。。両親の老いである。


両親は、私の友人の親世代からすると比較的若めの歳なので体力・精神ともにまだまだ元気だ。しかし、ある時を境に(両親が50代半ばを過ぎた辺りからだろうか)「親も歳をとってきてるんだなぁ」と感じることが多くなった。まぁ、私も年々疲れやすくなったり、一度体調を崩すとずるずると引きずって治りが遅かったりし、確実に衰えを感じてきているので当たり前ではあるが、正直少しさみしい。


親の年齢を考えればまだ先のことかもしれないが、両親の老いを感じて必然的に頭に浮かぶのは「親の老後」である。我が家に長男はおらず、私は長女。妹は長男と結婚した。長男の嫁となった妹は、世のならわしでいけば、夫のご家族の面倒をみることになるだろう。では、私の親はどうなるのか。


今は元気いっぱいなので、親とそういった話がでても、あまり深刻にならずに「二人でどうにもできなくなったら老人ホームにでも入るよ〜」などと軽くあしらわれてはいるが、なんというかちょっとした方向性や諸々の準備を、できれば少しづつ始めたいと長女の私は考えてしまう。


こういうことを考えるようになったのには、カナダでの生活がある。北米では、老後のプランというものを若い頃から始める。一番最初に取り掛かるのは「遺言書」で、結婚後または子どもが生まれたタイミングで、ほとんどの人が個人・夫婦での遺言書を作成する。万が一に備えるためだ。そのため親が突然亡くなった場合でも、子どもたちは生前の親の願いを引き継ぐことができる。


また、親との会話にしても「老後はどうするか?どうしたいか?」ということは比較的ざっくばらんに話すことができるので、日本のように「まだそんな歳じゃないのに、死ぬ話なんてやめてよ〜」といった親子のやりとりもなく、ストレスなく老後・死後の話ができるのだ。


この文化はとても良いなぁと感心する。家族といえども個人個人という考えがあるからこそ、家族には心配や迷惑をかけないようにと、あらかじめ準備をし周知しておくのだと思う。


日本では親の老後のサポートは、子どもが行なうのがベターだとされている。その風習に、私は賛成である。しかし、だからこそ、将来サポートする可能性があるからこそ、お互いの想いのすり合わせやどこまでサポートができるのかなどを事前に確認し合うことが大切なのではないかと思うのだ。


老後のサポートは少なくともお互いの生活を変えることになるのだから、淡い期待などでオブラートに包むのではなく、腹を割って話し合うほうが安心して将来の備えができるように思う。


私は、親さえよければカナダで一緒に住むのも良いなぁと思っている。しかし、親には「馴染みのない土地で、言葉もわからずに生活するのは嫌だから、日本の方が良い」と言われてしまった。気持ちは充分にわかる。私だってすでに日本が楽だなぁと感じてるのだから。


ここ最近は、知り合いの親御さんが亡くなったという話を耳にするようになってきた。実際、そういう年頃に突入しはじめているのだ。どうやったら親とスムーズにこの話題ができるのかは、まだまだ模索中だけれども、親のことが大事だからこそ、この話しあいは元気なうちにしておきたいと思うのである。

 

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SASAKI

 

海外移住をきっかけに本格的にライター・エディターとなる。英仏話者。人々の生き方や働き方、子育てに興味があり、取材・インタビュー記事が得意。現地では新たな挑戦として、現地企業でマーケティング・カウンセラーも経験し、海外と日本の架け橋となるようなサポートもしてみたいと考えている。