北米でマルチリンガルの子育て、仕事、海外生活と日々奮闘中の筆者が感じた日本と海外の違いや気づきを綴るコラム。

第15回目は、「生きやすいかもしれない海外生活」です。

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一時帰国をした際にはいつも断捨離や過去の思い出の整理をする。

あるとき学校の通信簿を発見した。学生時分には、成績はまぁまぁ良かったという記憶が残っており(一夜漬けで暗記をしては、その後すぐに忘れるを繰り返した)、その点は概ねあってはいたが、学校での生活態度に関してはかなり良い感じに上書きされていたようで、自分事なのに驚いたりしたものだ。

 

子どもの頃の私は、打てば響くという反応の良い活発な子であったようだが、その分落ち着きがなかったようで、じっと座ってする作業が苦手。正義感が強く、しっかりと意見を持っているのでリーダー的存在ではあったが、思ったことをそのまま述べるので、周囲との衝突も多かった模様。…まぁ、なんというか少々面倒くさい子どもだったんだなぁと、トホホな気分になった。

 

学校の通信簿には、私の生活態度をかえりみて、今後どのように指導していくかが先生によるコメントで毎度書かれているのだが、それを読んで感じたことは、やはり日本の教育は平均化を目指しているのだなということ。

当たり前ではあるが、人には長所・短所があり、それらは往々にして対になっている。例えば、落ち着きがないということは「活発な子」という意味でもあるし、逆に落ち着いているということは「消極的な子」で学校生活にあまりやる気を感じられないと、評価される場合もある。

 

学生時の先生のコメントでは、現状の私の良い点を褒めてはいるのだが、それをさらに伸ばそうという内容よりも、より劣っている点をもう少し伸ばしたいというような言葉が多かったのだ。

一方、海外で園の先生方と我が子の話をしていて感じるのは、子どもの良い点によりフォーカスして意見をくれてるなぁということ。

 

例えば、我が子は非常に思慮深い。じーっと物事を長い間注意深く観察してから、行動を始める。そのため全ての行動がスローペースで(速いのは運動時間のみ)、じれったいと感じる大人も多いと思う。でも、この慎重さを褒められることはあっても、マイペースすぎなので周りと合わせましょう、といったようなコメントをもらったことはない。

海外では、短所となり得る部分は、人に迷惑をかけるようなレベルでなければ特に気にしないようで、私が子どもについて気になっている点を伺っても「問題ないですよ」とさらっと言われることが多い。長所については注目してどんどん褒め、短所に関しては受け流すという傾向があるようだ。これは海外特有の思考なのかも知れない。

 

日本で良しとされている「みんなと同じように」「全てにおいてまずは標準を目指す」といったような感覚はなく、誰かの決めたやり方やセオリーに従順である必要もないのである。それは、学校という教育機関に限ったことではなく、親としてのあり方や仕事の仕方、夫婦の役割分担、育児など、あらゆる面で「こうしなければならない」「こうあるべきだ」

という見えないプレッシャーが海外では少ないように感じている。

 

日本とはひと味違う価値観の中で生活するにつれ、ひょっとしたら子どもだけでなく私たち大人にとっても、生きやすさという点に関しては海外のほうが楽なのかも知れない、とふと思ったりするのである。

 

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SASAKI

 

海外移住をきっかけに本格的にライター・エディターとなる。英仏話者。人々の生き方や働き方、子育てに興味があり、取材・インタビュー記事が得意。現地では新たな挑戦として、現地企業でマーケティング・カウンセラーも経験し、海外と日本の架け橋となるようなサポートもしてみたいと考えている。