イギリス発、十人十色の働き方

 

ボッティング大田 朋子(Tomoko Botting-Ota)

 

本コラムでは、働く女性にインタビューしてお仕事のこと、ライフワークバランスのとりかた、リラックス法、時短の工夫といったお話をうかがいます。

 

第12回目はグラフィックデザイナーとして活躍されながら輸入家具の会社を経営されている有限会社ゲートジャパン  代表取締役 武田舞さんに登場して頂きます。20代始め美容室に特化したグラフィックデザイナーとして独立し会社を設立される経過や、屋外家具が大好きなご主人と輸入家具を扱う会社を経営されている昨今のこと、定期的にご家族で海外に長期滞在されている「旅育」や2児のママとしてのルーティーンなどについて伺いました。

 

・美容室に特化したグラフィックデザイナーとして独立し、のちに「女心をつかむデザイン」をテーマに会社を設立されました。その経過などを聞かせて下さい。

 

22歳でグラフィックデザイナーとして独立しましたが、きっかけは短大卒業後ICSカレッジオブアーツ(インテリアデザインの学校)に通っていたころ、知り合いから美容室のDMを作ってほしいと声を掛けていただいたことでした。2000年初期まだ紙媒体がマーケティングの中心だった時代の話です。当時のわたしは学校の宿題が多くてバイトもできずにいたのですが、美容室向けのDM作りは勉強に直結していることだったのでやりやすくしかも好きな時間に働けてお金ももらえてお客さんにも喜ばれて……、とはまる条件が揃っていました。「20代の自分がもらったら行ってみたくなる美容室のDMってどんなデザインだろう……?」と思いをめぐらしながらデザインしましたが、等身大の自分の視点を大事にしたデザインがお客さんに響いたというか、美容室の来客の増加につながって大成功でした。

 

そういった仕事を重ねているうちに口コミで噂が広がって、美容室のDM制作だけでなく広告やチラシ、名刺を作るお仕事が次から次へと舞い込むようになって、結果美容室を専門にしたグラフィックデザイナーとして独立するに至りました。22歳のときでした。大好きなデザインの技術を使って美容室が繁盛するにはどうしたらいいか、っていつも考えていましたね。既存のお客様からの紹介から他のお仕事につながることが多かったですが、飛び込みで営業もしました。若かったからやり方も考え方も柔軟で、色々なやり方に挑戦しましたよ。

 

ビジネスが順調に軌道にのって25歳の時に法人化したのをきっかけに、それまで特化していた「美容室専門」を外して一新、「女心をつかむデザイン」をテーマにパッケージや広告、ノベルティーグッズといった様々なジャンルの商業デザインを手掛けるようになりました。女性の目線で作るデザインが喜ばれてデザインや広告業も順調だったし、新店舗をオープンするからとロゴや看板に限らずインテリアも一任されるなどコンサル的なお仕事もさせていただいて仕事が楽しくて夢中で働いていました。20代の女性の起業をテーマにした講演をお願いされるようになったのもこの頃です。

 

・30歳で受けた人間ドックが大きな転機に

 

人生のターニングポイントはいくつもありますが、なかでも特に大きな転機となったことが二つありました。一つは30歳になるときに当時付き合っていた今の旦那からプレセントされた「人間ドック」がきっかけでした。検査の結果で左の卵巣に腫瘍があることがわかったんです。良性の腫瘍だったのですが手術が必要で、手術をすることで不妊になるリスクがあると告げられました。そのとき、「ああ、わたし子どもが生みたかった」って思ったんです。旦那とは学生時代から付き合っていたので当時すでに長い付き合いになっていましたが、20代では仕事が面白くて気がついたら結婚せずに30歳まできていたのが、この時の手術をきっかけに今までの棚卸をして、人生の優先順位を見直しました。

 

それまでは楽しくて第一優先できた仕事でしたが、あれもこれもしないと決めたり、奴隷のような仕事はしないといったことを決めました。「半年後に死ぬと決めて生きよう」と思い、プライベートでも結婚や出産といったことに対して後回しにするのを止めました。入院していたときに「やりたいことは全部やったほうがいい」とある人が言ってくれたことも印象に残っています。

 

・家族の大転機につながった、夫婦の危機

 

そして結婚して長男誕生。子供が生まれてもわたしは仕事をしたかったので旦那さんには会社を辞めてもらい、一緒に彼の大好きな家具の販売を扱う事業部をスタートしました。彼も年齢的にももっと自由に仕事をしたいと思い始めていた時でした。

 

わたしは長男を出産した後も働き続けてはいましたが、息子が1歳で保育園に入るまではどちらかというと育児に専念していました。初めての子どもだったしどう手を抜いていいかわからず、育児ノイローゼになった時期があったのですが、幸いにもその時夫は家具の仕事がとてもうまくいっていて、その時に「俺が家族を養っていくから君は仕事やめてもいいよ」みたいなことを言ったんです。育児だけでも大変でその上仕事をして疲れていたわたしへの気遣いから出た言葉だとはわかっていたのですが、それは仕事が好きなわたしにはキツイ一言で、育児ノイローゼの精神状態とも相まって夫の理解不足に腹が立ちました。それからしばらく夫婦の危機が訪れたというか、とにかく家では嫌悪感が溢れた雰囲気が続いて……、小さかった息子も黒い絵を描きだすほどでした。

 

さすがにこれはまずいと、夫婦で放っていた負の力を他の何に向かわせようと二つ目標を決めました。一つは絵本の出版をすること、もう一つはオーストラリアへの家族留学でした。

 

絵本の出版ですが、その頃までに長男に手作りの絵本を作っていて、手作り絵本が思いのほか他の子どもたちにも好評だった経緯があります。それに当時「おっぱいがないから」と育児をわたしに任せがちになっていた旦那の様子を見て、卒乳や断乳は夫婦で取り組みたい希望が強くあったので、それらの思いを込めて「おっぱいバイバイ」の絵本を作って出版したいと思いました。出版に関しては素人だったので、絵を描いてくれる人から探し流通を考えたりと出版につながる行動を二人でとって無事出版にこぎつけました。

 

こうして、断乳・卒乳をサポートする絵本「おっぱいバイバイ / Milky 」が生まれました。日英バイリンガルで作り、海外での販売も決まりました。シドニー紀伊国屋で2度絵本イベントを開催しましたが大成功でした。

 

*シドニー紀伊国屋での「おっぱいバイバイ / Milky 」イベントの様子

 

そしてもう一つの目標だった、家族でオーストラリアに留学しに行きました。

わたしは20代始めに独立して会社を設立したおかげでキャリア面ではとても恵まれてきましたが、同時に20代でやりたかったけどまだしていなかったことがいくつかあって、その一つが海外留学だったんです。だからこれを機に家族でブリスベンに3か月留学したいと旦那に伝えました。当初夫は仕事があるからと1~2週間したら日本に帰るつもりだったようですが、行ってみたら時差があっても仕事ができる、家族といながらでも仕事ができることが実感としてわかったようで、結局家族で3か月間オーストラリアでの時間を満喫しました。

 

この経験以来、年に1回家族で海外に行く生活が始まりました。仕事のベースを東京に持ちつつビジネスの種を海外で見つけるパターンができてきた気がします。仕事をしながら家族で旅するのが実現できるようになったのも嬉しいです。

 

というわけで、一人目の育児ノイローゼが生んだ夫婦の危機の最中、お互いが生み出していた負のエネルギーを建設的な方に向かわせたことで夫婦の危機を乗り越えられたばかりか、結果的にわが家に大きなチャンスをもたらすことにつながりました。このときに限らず、負の力をプラスに変えるスイッチを持ったことでピンチをチャンスに変えることが習慣になってきた気がします。

 

・舞さん家族が大切にされている「旅育」とは? 

 

わたしたちのベースは東京ですが、上記のオーストラリア家族留学以来、年に一度誰も知り合いがいない海外の国に行って家族で生活するようになりました。毎日のルーティーンを続けているだけだと思い切った決断ができなくなりがちだし、定期的にゼロベースになれる環境に飛び込んで再セットしたいのもあります。慣れていない環境に身を置くことで普段使っていない部分が活性化されるあの感覚が好きなんですよね。

 

とはいえ、いきあたりばったりで何処かへ行って通り過ぎるだけに終わって面白くないので、旦那が新しい家具を見つけてきたらそのメーカーさんがある土地が次の目的先になるというのがパターンです。去年は2ケ月ほどイタリア、スペインで生活しました。長男は小学生だしどうやって長期に海外滞在を実現するのかって聞かれることもあるのですが、やる方法なんていくらでもありますよね。具体的には海外への長期出張を認めてくれる小学校を選んだことや、海外にいるときにも学校への提出物をきちんとしたり、行った先で学んだことをファイルにして提出するなどコミュニケーションをとることで学校の理解を得る努力をしています。

 

外国にいると標識を読んだり、メニューとにらめっこしてやっと注文できたとか、切符を買うとか、トイレひとつとってもお金を払わないと使えないところがあるなど、親も慣れていないから知ったかぶりが通らない毎日です。そういったことを一緒にこなしていくことで、わたしもだし子どもたちも生きる力を鍛えている気がします。それを「旅育」と呼んでわが家のテーマになっています。わたしも日本にいると口うるさい母親になってしまいがちですが、勝手がわからない海外だとこっちもわかってないから上から言わない、子どもとの関係も対等というか、同じ船に乗って一緒に冒険するパートナーになるのでお互いにとってとてもいい感じです。

 

  *家族で世界に!「旅育」のようす     *チケットを買わせてみる        *言葉の壁を越えて

 

・毎日のルーティーンや両立の工夫、目標

 

毎朝子どもを送ったら午前中はどこかのカフェに行って仕事しています。年に一度海外に出るのもそうですが私は毎日同じ場所に行くのが苦手なんです。だからカフェもここだけ、と決めずに違う場所に行っています。昼になると自宅に戻って夫とランチを食べた後、午後は打ち合わせが入ることが多いですね。美味しいものを食べたいのでご飯作りの重要度は高めですが、買いだめしたり音楽をかけてワインを飲みながら作る時間を楽しくしたり、まとめて作るなどの工夫はしています。時間がない日は子どもに食べさせながら作ったりして、手抜きもうまくなってきましたね。

 

洋服は海外に行く時にスーツケースに詰める量をベンチマークにして、持ちすぎないようにしています。洗濯をすぐにしなくても間に合うだけの量は確保しながらも基本シンプルに、服ってありすぎるとコーディネートする時間も空間も奪われますからね。食器や身の回りのものなどは本当に好きなものしか買わないように心掛けているおかげで、気にいるものを見つける練習にもなっているし、ものが少ないので生活がシンプルに済んでいる気がします。

 

自分の目標としては英語の維持をがんばりたいです!とはいえ英会話クラスに行く時間が今はとれないので、毎日困っている外国人を見かけたら助けるようにしています。これは自分の英語力維持のためもありますが、海外にいた時に多くの人に助けていただいたのでそのお返しだと思っています。

 

【武田舞さん】

有限会社 Gate Japan

屋外家具輸入・販売 https://www.gatejapan.jp/

 

INSTAGRAM アカウント @living_under_the_sun

https://www.instagram.com/living_under_the_sun/?hl=ja

 

オンナゴコロをつかむデザイン

http://www.gate-japan.net

 

断乳・卒乳をサポートする絵本(日英バイリンガル)

「おっぱいバイバイ / Milky 」https://books.gatejapan.jp


ボッティング大田 朋子 Tomoko Botting-Ota 

ライター&プロジェクトプロデューサー 

 

アメリカ→ドイツ→インド→メキシコ→アルゼンチン→(数か月ばかりの英国滞在)を経て、2011年秋スペインへ移住。 

現在イギリス・カンタベリー在住。 

メキシコでオーガニック商品の輸出会社立ち上げ+運営。 

アルゼンチンのブエノスアイレスでマンガの国際著作権エージェント立ち上げスペイン語出版。 

 ⇒プロフィールはこちら https://tomokoota.wordpress.com/about/ 

 

ブログ https://tomokoota.wordpress.com/